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自転車と時間
ベルギー出身/2016年4月来日
一橋大学大学院 社会学研究科 修士1年在学中
趣味:ロードバイク、近代文学
将来の夢:学問を極めること
研究テーマ:差別現象の原理、言語の社会哲学
 
 

最近、天気も良くなり、自転車に乗ることも増えた。自転車と言えば、自宅から少し離れている郵便局やコンビニ、薬局、または駅まで気軽に行く為の移動手段が思い浮かぶだろう。操作が単純で免許も不要な為、老若男女を問わず普遍的な人気を誇っている。形や性能は幅広いが、街で見かける自転車の大多数はいわゆる「ママチャリ」というタイプのものである。楽な運転姿勢と正面の荷物籠が特徴的で、さらに後部にチャイルドシートも付いていれば、子供を乗せながら街を縦横無尽に走る多忙な日本のお母さんを想像するまで後一歩のところだ。

実はぼくも、買い物で使うことは滅多になくても、つい最近まで日々の通学の貴重な相棒としてママチャリを愛用していた。ところがこの間、5〜6年前に中古で購入したその自転車が取り返しのつかない状態まで経年劣化してしまい、仕方なくセールを活用して初心者向けのロードバイクに買い替えることにした。人生が変わった、という感覚には残念ながら至らなかったが、自転車で走ることから得られる純粋な楽しさを再認識できた。この体験は、自転車を替えたからという素朴な理由よりも、走り方自体が変化したことに由来していると言える。

東京ほど交通の便が優れている街では、近場の気軽な買い物以外で自転車に乗ることが殆どないだろう。自宅から駅まで徒歩20分という距離でも、駅周辺の駐輪場に停める手間や時間を考えれば、自転車を使うことを断念する気持ちも理解できる。時間厳守という側面から世界的に知られている日本の新幹線は言うまでもなく、細かい蜘蛛の巣のように広がっている東京の地下鉄や電車の線路は実に凄まじい。駅の数のみならず、周辺の繁華街を含む駅へのアクセスの良さも群を抜いている。一方で、この利便性には裏があると考えられる。

海外旅行から帰ってくる友達と話す時、しばしば似たような感想を耳にすることがある。それは「目的もなく外で時間を過ごしていた人の多さに驚いた」という類のものだ。ご存知の人も多いと思うが、東アジアやアフリカはともかく、ヨーロッパでも「路上で時間を過ごす」ことは至って普通なことである。晴れた週末に公園で遊んだり昼寝をしたりする若者や家族連れだけでなく、仕事終わりの平日に広場のベンチやカフェのテラスで優雅な時間を味わう者も数多く見受けられる。

ヨーロッパの伝統的な街は教会とその付近の(市)広場を起点につくられている一方、日本では駅が街の中心となっている。駅から商業施設や飲食店、住宅地が徐々に広がっている為、都市開発も駅への移動をいかに効率よく、円滑に促せるかという理念に基づいて進められている。だから、と断言できないが、何の目的もなく路上に立っている人は怪しまれ易く、路上飲みは行儀が悪いと言われる以前に、駅周辺を除いて外でゆっくり時間を過ごせるような広場やベンチがそもそもない。日本の道は通路であり留まる場所でない以上、外を出歩く際に目的地へなるべく効率よく移動しようとする習慣を安易に説明できる。

ぼく自身も、ママチャリに乗っていた時は極めて効率重視な思考をもっていた。通学は一刻も早く大学に着くことしか考えず、悪天候の日もカッパを煽り、雨ニモ負ケズを貫いていた。しかしロードバイクに買い替えた後では、「ゆっくり」走ることに価値を見出せるようになった。余程のことがない限り、想定時間より15分早く出発するようにし、走りながら街の雰囲気や時間の流れに意識を向けるようにしている。不思議だが、ペダルを漕ぐことが時計の針を自分の足で回すような気分と重なる。早く漕げば風景の変化が激しくなる。ペースを落とせば時間がゆっくりと流れてくる。もはや、動かしているのは自転車ではなく、風景に象徴される時間でないかと考えることもある。

一つの場所から新たな場所へ。そして次の目的地へ。忙しい日々を送っている我々は、目的と結果に対して過敏になりがちだ。街並みはそれを望んでくれなくても、遠回りを主体的に選択することは常に可能である。余裕のない平日でなくても構わない。週末になれば歩くことも、公園に行くことも、ドライブすることも、冒険気分で電車に乗ることもできる。共通前提が失われつつある我が社会では、自分と向き合う時間を確保することが益々困難になってきている。過剰な流動性において、静止してはならないが、動きすぎてもいけない。

ぼくは明日も、ロードバイクに乗って、忙しい東京の街をゆっくり走りたいと思う。

 
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