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私の旅
ネパール出身/2018年4月来日
立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋学部 4年在学中
趣味:旅行、交流活動、ボランティア活動
将来の夢:貧困、教育、健康に関する問題を解決できるよう日本と途上国の国々の架け橋になりたい
 
 

私の出身国・ネパールは、アジアの巨大経済圏である中国とインドの狭間にあります。出身地は世界最高峰エベレストの麓であるモンジョと言う自然豊かな美しい村です。首都カトマンズから約140kmの距離にあるモンジョ村は標高2,800mのところにあります。


モンジョ村

山の美しさをはじめ自然豊かな場所で様々な文化があり、それを体験するために、毎年多くの外国人の登山者や観光客がネパールを訪れます。私の家族は、そこでホテルを経営しています。私が仕事のお手伝いをしていた時に母は「あなたのおもてなしと笑顔はみんなが素晴らしいと言ってくれているよ」と褒めてくれます。そのような環境のもと世界中の人々と触れ合うことで、小さなころから私もいつか世界中を旅行したいと思うようになりました。美しい観光地に生まれましたが、質の高い教育の欠如、山岳地帯という地形での限られた輸送・移動手段が問題となっています。地域の住民が病気になったとき、治療を受けるために飛行機でカトマンズまで行かなければいけません。両親はこのような環境下で子供のころから労働していたため、高等教育を受けることができなかったので、私たち兄弟に充分な教育を受けてほしいと望んでいました。そのため、私は10歳から親元を離れ首都カトマンズの寮から学校へ通うことになりました。

それから8年後の2015年4月15日にM7.8の地震がネパールを襲い、ヒマラヤ山脈で地滑りと雪崩が発生しました。 約9,000人が死亡し、2万2,000人以上が負傷しました。その頃政治的理由によりインドは、ネパールに対して経済的封鎖を課していたため、ネパールの人々の生活は苦しくなり、経済に深刻な影響を及ぼしました。しかし、日本をはじめとした多くの先進国が、資金と地震救援物資を提供し支援してくれました。日本はネパールへの最大の支援国であり、ネパールの社会経済的発展に寄与してくれています。私はそのようなことを知り日本と日本の習慣に興味を持ち、日本人、JICAやNGOと協力して、日本とネパールの発展に貢献したいと思いました。そして、2018年JASSO奨学金や家族の支援や地域の方々や先生方の応援で、国際的な大学である立命館アジア太平洋大学に入学することができました。

大学では専門的な知識だけでなく、言語学習、様々な伝統文化、交流活動、フィールドスタディ、ボランティア活動に参加することができました。そのことに大変感謝しています。2018年には、ホームステイや地域交流活動やサークル活動に参加し、2019年には、公文や立命館高校で英語の交流授業、ラグビーワールドカップのボランティア活動、スペインとイタリアで行った地方と都市の遺産のフィールドスタディなどに参加しました。2020年には新型コロナウイルスのせいで人々の交流、アルバイトなどがなくなり不安なことが沢山ありましたが、優しい日本人や日本政府や大学や公益財団法人からの財政援助やサポートのおかげで、学業、課外活動に専念することができています。空いている時間を有効利用するため、大学が支援してくれる学生主導のプロジェクトとしてネパールの農家を応援する活動を行いました。

将来、日本で学んだ知識を活かし、様々なスタディツアー、交流活動を行い、日本とネパールの国際関係を強化したいと思っています。様々な経験を積んで、貧困、教育、健康に関する問題を解決できるよう立派な社会人として活躍したいと考えています。


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