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奨学生エッセイ
 
 
 
記憶の賞味期限
セネガル出身/2015年4月来日
名古屋大学大学院 工学研究科 修士2年在学中
趣味:ロボット、テクノロジー、バスケ、筋トレ、哲学、議論
将来の夢: アフリカNo.1の自動車メーカーを創造する
研究テーマ:Future Map based smart warehouse system automation using MPC of multiple intelligent agents
 
 

たまに他の留学生と久しぶりに会うと同じ質問を聞かれます:「最後に帰国したのはいつ?」。私は2014年に母国を出てから1年、2年、3年、帰国せずに次々と経過している年を数えて来ました。5年目からはその質問に正直に答えられなくなって、言い訳をする様になりました。家族の「いつ帰るの?」には「ちょっと大学とかで休み取れなくてわからない」と答えたり「インターンシップ行くから帰れない」と答えていました。実際には帰国しなかった理由は種種雑多ですが、一番の理由は「3週間休むよりも残って成長した方がいい」という気持ちに違いありません。

まずこの8年間を振り返ってみましょう。高校を卒業してから、1年間フランスの特別な学校で数学と物理の勉強をしました。日本に来てからは1年間日本語教育を受けました。日本語学校の学生は様々な国から来て、常に交流会の雰囲気で楽しかったです。言葉を学ぶ赤ちゃんのように何もかも新しかったです。日本の文化やルールなどを発見する1年間でした。その時は他の留学生と箱根や新宿、渋谷などで良く遊びました。もちろんその時帰国することは一回も考えませんでした。

日本語学校の後は高専に入学して、新たな章になりました。東京から九州の熊本市、そして熊本市から八代市、次第に超都会から田舎の方に移動しました。高専の周りは田んぼばっかりで遊ぶところとかはなかったです。それでも私は八代がとても好きです。毎朝鳥の巣のように山に囲まれている学校の寮から綺麗な風景を拝見しながら登校していました。そしてたまに、留学生の日本のお父さんの酒井さんと呼ばれている方に阿蘇山や天草、鹿児島、別府の温泉などの九州の有名スポットに連れて行ってもらったりしました。熊本での3年間も非常に楽しくて、全く違う世界でとても優しい方々に毎年、毎月、毎日お世話になっていました。学業の面では、理論が強かった私にはロボコン部に入ったら力になれると思いました。しかし、入部してからすぐ無能さを自覚しました。大きいショックでした。理論が分かっていても、物作りには5年年下の後輩たちの方がはるかに上でした。ロボットのパーツがどの原理で動いているのが分かっていても、自分の手でロボットを設計して、設計したロボットを実際に加工して、回路を作って制御プログラムまで目の前で組んでいた彼らは魔法使いの様でした。夏休みや冬休み、春休みにはみんなが帰省したり帰国したりした時、一人ではんだ付けしたり、自立歩行プログラムを組んだり、必死に追いかけようと思いました。2、3年目からは私も魔法使いになりました。学校から支援をもらって好きなロボットを作ったり、全国と世界のロボット大会に出たりして、さらに次々と休みを消化して行きました。2年からはバスケ部にも所属していて、大会も出ていました。この作文の題名を忘れたなら、私が帰国をすることすら考えなかった理由がわかるでしょう。

2019年からは新たな冒険が始まりました。また、都会で大学に編入して、新しい生活に慣れるまで時間かかりました。慣れ始めてから数ヶ月後、コロナで旅行をしたくてもできなくて、徐々にストレスもたまってきました。もっとホームシックになってきていて、チャンスがあり次第少なくとも3週間、帰国しようと思います。お母さんの笑顔を2Dではなく3D で見たいです。197cmになった弟とバスケして、勝ってみたいです。家の屋根から、幼い頃から大好きだった森の中にある二つの丘の間に沈み消える太陽の光を浴びたいです。セネガルの北にあるセネガル川の川沿いに永眠しているお父さんのお墓参りをして、よく食べていた「ギジリ」(果物)も食べたいです。

コロナになってからは一回も愛知県から出ることなく、授業、研究、アルバイトのサイクルを繰り返してきました。どれだけ帰って休みたくても、少し不安を感じていることもあります。自分の中では母国の文化や仲が良かった友達のこととか、国の暗黙のルールとかの記憶は、ただ薄れてきました。例えば、大好きだった「偽のライオン」祭りのことを完璧に忘れて、最近思いだしました。言葉はたくさん忘れて、価値観も変わっていて、友達とあったら何について話すかも気になります。とても若かった従兄弟とかは自分のことを忘れているでしょう。


忘れていた「偽ライオン祭り」の偽ライオン
ライオンの真似をして子供を追いかける。捕まった子には唐辛子をかける。子供には鬼ごっこのような遊びになる。大人には、ライオンのダンス、歌を楽しむ

 

8年間で母国はかなり成長したらしいです。紙幣はなくても生活できるらしいから日本円から両替しなくてもいいです。新しい空港は実家に近いから、高速道路に乗らなくてもすぐ着きます。新しい博物館や最近有名になったレストランでデートでもしましょう。パスポートはもう切れていて1日で更新できるらしいから楽です。食べ物や文化、海の位置とかは変わっていないはずですから、十分精神的なバッテリーをチャージして日本に戻ってきた私は無敵でしょう。


セネガル川の川沿い。
サンルイにある街で、フランスの植民地だった時代の建物がそのまま残っている。世界遺産

 
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