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奨学生エッセイ
 
 
 
余計な知識の物知りとして生きる事とは
韓国出身/2019年3月来日
京都大学大学院 農学研究科 博士1年在学中
趣味:料理、グルメ巡り、散歩、水泳、ロードバイク
将来の夢:研究職、大学教員、学芸員
研究テーマ:江戸時代の南蛮料理による民間の食文化への影響
 
 

私は小学生になる前の頃から、図書館で本やインターネットを用いて知識を蓄えるのが好きでした。ジャンルは特に問わなかったですが、主に料理と料理の歴史系が好きでした。

しかしながら、学校ではこの知識を使う機会は一切なく、たまに話すときに本の内容を引用したら、先生は「あなただけ知っている知識は言わないほうがいい」と言われました。それを聞いた生徒たちは「私たちはこんなものに興味ないし、物知りのふりなんて気持ち悪い」といわれて、生徒時代には他の生徒たちにからかわれてばかりでした。大学に進学しても状況はあまり変化せず、もう断念したのでしたが、日本の大学に編入してから変わりはじめました。

韓国にいるまでのときには、「余計な知識はいらない」と周りから話すと責められてばかりでしたが、日本の大学ではその余計な知識を他国の人がそれぞれの専門知識を持ち、お互いを尊重してくれた上で、さらに他の知識を足せるように授業を通じて連携させて自分の成長ができる環境が整えられたのです。

この一例として、編入した大学と修士課程の指導教員はフィンランド人の歌舞伎研究者でした。正直私は歌舞伎に興味がなかったですが、江戸時代の研究を行っている先生がこの方しかいなかったので指導を受けることになりました。ですが、歌舞伎の授業や演目を観に行きながら背景や知識を積み上げ、町を散歩するときに曽根崎など歌舞伎や浄瑠璃の原作の背景だったのでわかりやすくなりました。ほかにも、古文を整理して読み上げる授業のとき、資料を取り扱う能力のため、学芸員にも興味を持ちはじめ、現在実習を履修して資格を取得している最中です。

以上のような経験により、現在には博士課程に進学しました。しかしながら、正直、私が研究している江戸時代の食べ物も、学部と修士で学んだ歌舞伎などは社会に知らなくても生きるには差し支えなく、社会生活にとってあまり役立たないものであり、飯の種になるものではありません。

だけど、ガラクタのような知識を知っていることで、通り過ぎやすい物事への意味などを楽しむことができ、世の中を眺める解像度が上がります。たとえば、街中のデパ地下へ行くと、和菓子コーナーで玉子素麺は実は16世紀ごろ日本に伝播されたポルトガルの菓子であることや、18世紀ごろの料理本に記載された絹巻というお菓子が現在にも同じ形で販売していることなど、ものたちの背景がわかること
で現在の食文化への影響などへの考察につなぐことができます。このような考えをすることで飯の種になることはありませんが、いつかの機会がきたとき、よりやすく機会を掴められるようになります。なので、昔にはほぼ呪いであった余計な知識が今の私にとってはかけがえのない大事な財産であります。その知識を用いて、いつかまた来る新しい機会を掴めるよう、今よりさらに深く様々な知識を積み上げながら時がくるまで待ち続けたいと思います。

 
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