私は現在名古屋大学国際開発研究科に在籍しています。私が専攻としているのは開発経済学です。開発経済学とは簡単に言いますと、開発途上国の経済を学び、その国のあらゆる問題に対する解決方法を提言します。その問題とは途上国が直面している貧困問題、環境問題、教育問題、などが挙げられます。
2006年8月31日から9月14日まで、名古屋大学国際開発研究科の海外実習という科目の一環で私は助手としてカンボジアのある村に現地調査をしてきました。調査自体は学生が33人で4チームに分かれます。学生は自分が興味のあるチームに配属され、調査を実施します。私のチームの調査は村全体の主な収入源・支出、そして貯蓄パターンを特定し、そして村人にとってより良い収入獲得パターンの可能性を探ることでした。村に行く前に日本でカンボジア全体の状況、村の基礎的な情報を勉強していましたが、一旦村に入れば村特有の問題点、ジレンマなど少しずつ目に見えてきました。そこで、私たちはとっても根本的な疑問から入りました。なぜこの村に“貧しい村民”と“豊かな村民”ができたのか?そして、どうすれば村全体の貧困線の底上げできるのか?
絶対的な答えではないですが、傾向として豊かな村民は農地が大きくて市場で商売する人が数多く見られます。それは農地の大きい農家は自分で農作業するではなく、安い賃金で小作人を雇います。そしてまた収穫して余剰生産物を売り、貯蓄になります。その貯蓄をまた市場で商売を行い、また利益を出します。それは豊かな村民の“好循環”と私は呼びます。
一方、貧しい村民のほとんどは農地が少なく、他の人の小作人になるケースが多い。1980前半に国策としてカンボジアの国民は比較的に平等に農地が分割されましたが、その後に様々な要因で農地の売買が行われて農地の少ない農家と多い農家という構造で出来上がりました。しかし、インタービューの進行につれて明らかになったのは“貧しい村民”の共有点は大きく2つ分けられます。一つ目貧困の原因は当の本人にかなりあるということです。つまり、その人は怠け者であり、一生懸命働かないから貧しいになるということ。その上、お酒やギャンブルに溺れる事実も見受けられます。二つ目の“貧しい村民”の共通点は一つ目と正反対に、原因は当の本人にあるではなく、周りの環境にあるということです。具体的に、私が行った村はもちろん地理的な場所と年にもよりますが、雨季には洪水が浸食し、乾季には渇水に遭っています。村人に聞くとそれは灌漑システムができてないからだという。もし、雨季にちゃんと水が流れて洪水に遭わなければ、乾季には池から水をひければ、農産物の量はかなり違ってくるでしょう。しかし、貧しい村民の“悪循環”はいずれにしても外部の手助けによって解決できる部分がかなりあると私は考えます。例えば、自然的な要因である洪水・渇水はダムや灌漑システムによって解決できると思います。しかし、そこは村開発の難しいところです。果たしてダム・灌漑システム建設の資金はどこから来るのか。政府の限れた予算は政策的に優先順位を付けて実施されます。従って、貧困層である農村に予算が流れるのは時間がかかります。そこで、私は外的要因であるODAなどの役割は非常に重要ななってくのではないかと思います。
最後になりますが、今回カンボジアの村に行って私は感じたのは村開発が内的要因だけでは非常に時間がかかります。外的要因は触媒的役割を果たして村の発展、ないし、貧困線の底上げに大いに貢献できるのはないかと強く感じました。
|